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《イメージ化》

イメージできる目標を設定することが重要である最大の理由があります。
それは、「人はイメージで生きている」からです。
「それってイメージできないんだよね・・・」
「これって私のイメージ通り!」
私たちは日常の中でも、「イメージ」という言葉を頻繁に使います。
人はイメージできることを好み、それに向かって前進する傾向があります。反対に、イメージできないことには消極的で、自分のイメージと違うものは遠ざける傾向があるのです。
例えばあなたのご自宅が最寄りの駅から徒歩10分圏内とします。当然、難なく最寄り駅へ歩いていけるハズです。難なく歩いていける理由は、駅までの道のりの映像や絵を視覚的に捉えているからです。
では、目隠しをして駅まで歩いていけますか?おそらく、それは難しいでしょう。
つまりは、視覚的イメージ(映像や絵)が遮断されると、前に進めなくなるわけです。
ではなぜ、目の不自由な方たちが街中を歩行できるのか、あなたはご存知でしょうか?
以前、目の不自由な人が、杖や点字などを通じて得た情報を脳内で自分が知っている映像や絵に変換し、そのイメージで、動いたり感じたりしているとおっしゃっていました。
また、以前テレビで、エコーロケーションというのを知りました。目の不自由な方が自らの舌で「テュッテュッ」というような音を鳴らして、その音が反響するタイミングや響き方によって、自分が今いる空間を脳内に映像として瞬時に変換するのだそうです。
これらの話から、イメージの重要性について、ご理解いただけたのではないでしょうか。
やり抜くためには、まずやり抜いたあとのイメージを明確にしてからスタートしないと、健常者がまるで目隠しして駅まで辿り着こうとする行為と同じようになるのです。

《些細な点にこそ意識を》

「象のお母さんには二頭の子どもがいます。ジェイソンとケビンです。お母さん象の名前は何!」

このなぞなぞを、もう一度よく読んで考えてみてほしい。小難しい知識など必要ない。ヒントはすべてこの三文の中に書かれている。どうだろう、おわかりだろうか?

これは「予想」と「慣れ」、そしてその結果引き起こされる「知覚」を利用したひっかけ問題だ。

文の最後をよく見てほしい。文末にあるのは「?」ではなく「!」だ。つまりこの文は、僕らの予想に反して、質問ではないのだ。そう考えて文字通り読めば、お母さん象の名前は「何」である。

まあたしかに、一般的な名前ではないし、素敵な名前ともいいがたい、それは認めよう。だが、大事なのはそこではない。重要なのは、こうした些細な点にいかに意識を向けるかだ。このなぞなぞと同じように、身体言語とボディー・リーディングでは、すべてのヒントは目の前にある。相手は自分の本心をあらゆるシグナルによってあなたに伝えているのだ。あとはあなたが、どこに「注目すべきか」を知るだけでいい。そうすれば相手の心を読むことはずっと簡単になる。

《ビリーフを変える》

では、どうすれば「自信がない」が変化するのでしょう?これは、自分のことをもっと信じることができるように、頭のなかからネガティブな声をなくしていくことで変化させることができます。
よくスポーツアスリートは試合に勝つために、自信をもてるよう、このようなメンタル面でのトレーニングを行いますが、同じような方法をやっていけば変えることができるのです。
まず、あなたが「これだな」と特定した言葉を思い浮かべてみてください。
例・・・「私はいつも自信がない」
この言葉を思い浮かべたとき、何か身体のなかで感じるものはありますか?
「胸が重くなる」「モヤモヤした気持ちになる」など、身体のどこかで何かしら感じるものがあるでしょう。身体のどの部分にその気持ちがあるか、特定してみてください。
そのイヤな感情と声を全部身体の外に出してみましょう。あくまでイメージでよいので、ぜーんぶ外に出すつもりで、手も使って内から外に出してみてください。
出できたものはどんなふうに見えますか?
映画のような映像の人もいれば、何か丸い、黒い重いもの、などのイメージの人もいるでしょう。どんなふうに見えてもOKです。出てきたものを3mぐらい遠くに軽くポーンと投げてみましょう。これで自分から遠くなったので、ちょっと楽になったのではないでしょうか。
出てきたものは、ずっとあなたの頭のなかに記憶され、無意識にあなたの考え方に影響を与えていましたが、実は、ずっともっていたことで、あなたを助けていた部分もあるのです。
たとえば「『自信がない』と思っていたからほかの人よりももっと努力してがんばれた」
「自信がないからダメなんだ、と自分自身が苦しくならならいように言い訳に使えていた」のように。
大切なことは、今までの自分の考えを頭から否定しないことです。「自分がずっと思い込んでいたことは、小さいころの自分には必要な考え方だった」というように、「今まではこれがあってよかったこともあったんだね」と認めていきましょう。
ただ、これからは、その考え方はあなたには必要がないはずです。手放して、もっとあなたにプラスになるものに変化させていきましょう。
遠くに投げたものは、どちらかに回転をしているはずです。どちら回りに回転しているでしょうか?「もし、回転しているとしたら、どっちに回っている?」と考えてみるとわかります。それをいったん止めて、反対方向に回してみてください!
それは、どんどん速く回転し、どんどん昇っていきます。どんどんどんどん回転すると、パンっと破裂して、粉々になります。そして、違う形に変わり、あなたがとても自信がもてるようなプラスのものをもって戻ってきてくれるでしょう。「自信」「できる」「大丈夫」といった言葉の人もいるかもしれませんし、キラキラしたダイヤモンドのような形に変わった、と言う人もいます。それをあなたの身体のイヤな感情があった場所に戻して、身体全体に十分いきわたらせるようイメージしてみましょう。

《情報は両方の意見を》

話半分に聞くという他に大切なのは、「両方の意見を取り入れる」というスタンスです。ともすれば偏りがちな情報収集ですが、そこをあえて対極の二情報を取る、というわけです。
インテリジェンス(謀報)の世界では、この手法があたりまえのように使われます。複数の情報を取る際、あるテーマに対してイエスと言っているものとノーと言っているものを必ず取り入れる、つまりそこに考え方や価値観のバイアスをかけない、収集した情報は時間をかけながら納得のいくところで判断するという手法です。
時間が経てば情報の「質」が変化する、という事実も忘れてはなりません。
情報の質が変化するというのは、その情報に対する信頼度が上がったり下がったりする、ということです。一年前は誰も信じなかったものでも、今現在は大勢に信じられている、逆に信じていたものが何らかの出来事によって信じられなくなる、ということはよくあります。
それは、時間の経過とともにそのテーマを取り巻く材料が増えることで、情報をチェックする精度(確度)が上がるからです。本当は歴史の信憑性(しんぴょうせい)に対しても、もっと疑ってかからないといけません。日本史の教科書からさまざまな武将の肖像画が消えたのも、別人がモデルであったなど新しい情報が次々と出始めた結果です。
逆に、ある情報が時間をかけて刷り込まれると、それは動かしがたい常識となります。歴史を、当時の時代背景を無視して、意図的に現代の観念でとらえて印象操作したり、事実の一部のみを強調したりして史実を歪ませるのは常のことです。
そういう情報をチェックしようとせず、ある方向から一方的に情報を流すマスメディアにはいくつかの問題があります。新聞やテレビなどのマスメディアが報道しているからといって、その情報をそのまま受け取るのは大きな誤りです。
そもそもマスメディアは、営利目的の企業だという事実を忘れがちです。
社会正義や国民目線など心に染みるような美辞麗句をマスメディアは並べますが、第二次世界大戦の際にすべての新聞社が戦争を煽(あお)った事実は記憶に残さないといけませんし、広告スポンサーや多くの圧力団体の意向には逆らわない、むしろその意向で読者や視聴者を扇動しようとすることが多い「マスメディアの構造」を頭に置きつつ、一つひとつの情報を精査すべきなのです。
これがメディアリテラシー(情報活用能力)の本質です。
その情報が本当に自分にとって有益な情報なのか、そこに気持ちの悪さや居心地の悪さを感じたりはしないか、他人事(ひとごと)ではなく自分事として感じながら複数の情報をチェックすることが大切です。日本は欧米と比べてこの部分が遅れており、今後の強化課題です。

《精一杯やってみる》

心配という言葉の本質は意外とわかりにくいものです。
人や周囲へ心を配るという良い面もあれば、自分や誰かの心を心配するという悪い面もあります。不安、不信、気がかり、悩み、こうしたマイナス要素を帯びた言葉と同じように、心配という言葉はどちらかと言えばネガティブな使い方が多いものです。
私たちが心配する状況は、主に次の三つの要素に分類されます。

①結果がわからないこと
②悪い結果が予見できてしまうこと
③その悪い結果を自分がコントロールできないこと

これは医師や医療スタッフにも当てはまりますし、もちろん患者さんや家族にも当てはまります。想定内の結果が見えていれば、「心配しないで大丈夫ですよ」と声をかけることで本人の心配は拭われます。
自分がコントロールできない背景には、「努力していない(足りない)」ことの他に「努力しても届かない」ことがあります。仕事でミスをする、難度の高い仕事ができないというのは前者ですが、経済が好転しない、天変地異が起こるというのは後者です。
大切なのは、自分がコントロールできないことは心配しないことです。どんな世界に身を置くにせよ、必須の条件です。要は、開き直る、思い切る、ということです。もういいやと思えば、対処していることの質が変わります。あれほど悩ましかったことが、実は大したことではなくなることも多いのです。何とかしよう、うまくやろうとすると、心配の度合いはどんどん上がります。
医療のプロである医師にも共通した心配事があります。

《適度な課題を》

 ポイントは、学校や塾で課題を吟味して出してもらうことであろう。本人の能力に合わせ「わかる問題」を七~八割、残りを「努力が必要な問題」に配分する。
 どうせできないから、と全部優しい問題にしたり、逆に本人の能力以上の難しい問題ばかりを並べないことだ。前者だと「自分はバカだと思われている」と考えて、後者だと問題が解けないのは「自分がバカだから」と思い込み、いずれにしても無気力になる。
 また正答が得られないときには「もうひと頑張りだったね」と、本人の「能力」でなく「努力」に原因帰属をする。能力に比べ努力は自分の力で変えやすいため、「頑張ってみる」と再挑戦に意欲を燃やしやすい。
 また人間は興味や関心のあることに「何だろう?」と目を輝かせる。探究反射を基に学習を組み立て、それも相手の能力に合わせ適度な課題を選んで与える。満腹時には食欲がわかないように、課題が多すぎると意欲が減退してしまう。
 このように、学習効果を上げるには、しつけや励ましよりもスモールステップを組み、少しの努力で結果が手に入るようにしたい。成就感が次への何よりの動機づけになるからだ。
 ノックの名手は手を伸ばして捕れるかどうか、ギリギリの位置にボールを打ち続けるそうだ。すると選手は必至で球を追い、捕球回数が増えるにつれ、さらに頑張るという。

《リフレーミング》

 必要性の除法助動詞は必要を表わし、次のような単語が使われる。・・・べきだ(should)、・・・べきでない(should not)、・・・ねばならぬ(must)、・・・してはならぬ(must not)、当然・・・である(ought)。当然・・・ではない(ought not)。
 ある一定の行動の規範が存在するのだが、それがはっきり示されていない。その規範を破ったら結末は(現実であれ空想であれ)どうなるのか? それが次のような質問で明白になる。

 「もし、貴方がそうしたら、または、しなかったら、どうなりますか?」

 「私はいつも他の人を優先させなければならない」

 「もし、そうしないとどうなりますか?」

 「教室ではしゃべっていけない」

 「もし、しゃべったらどうなりますか?」

 「私はこのメタ・モデルの分類を覚えなければならない」

 「もし、そうしないとどうなりますか?」

 「あの連中と話しちゃならねえ」

 「話したらどうなる?」

 「お食事の前には手を洗うのよ」

 「洗わなかったどうなるの?」

 一度こういった結末や理由がはっきりすると、考え直したり、批判的に評価したりできるのであるが、さもないと選択と行動の自由が制限されてしまう。

 行動の規範は言うまでもなく大切である。そして、社会の道徳的な約束によって成り立っている。しかし、「貴方は商取引において正直であるべきだ」というのと、「貴方はもっとたびたび映画を見るべきだ」との間には天と地の差がある。「・・・べきだ」と「・・・べきではない」にはそれに値しない道徳的判断がしばしば混入する。

 いろいろな発見は、「もし、・・・したらどうなる?」と問うことによって初めて可能だ。

 ・・・西へ西へと航海したら? ・・・光速で移動できたら? ・・・ペニシリンを増やしたら? ・・・地球が太陽を巡るとしたら? ・・・こういった質問が科学的方法の基礎である。

《気持ちと事実をセットで》

ここからは話を聞くための質問に移っていきましょう。どんな小手先を使えば、いい質問ができるのか。

質問の基本は「詳しく訊く」に尽きます。「もうちょっと詳しく教えて」がベーシックな小手先。ひとまずはそのように尋ねてみるといいのですが、もう少し工夫することもできます。

相手が気持ちを話しているとき、「具体的に何が起きたの?」と事実を聞く。

「 彼氏とのあいだでひどいことがあって、すごい疲れた」とか「上司との関係がつらい」と言われても、よくわからないじゃないですか?だから、「何があったの?」と尋ねて、具体的なエピソードを話してもらうと良い。

逆に、相手が事実だけを話しているときは気持ちを聞きましょう。「友だちと遊びに行ったら、遅れて2時間も待ったよ」と言われると、つい「ひどい!」と言いたくなるけど、そこは5秒我慢してください。そのうえで「どう思ったの?」って聞いてみる。

もしかしたら「すごい豊かな時間だった」と彼は語りはじめるかもしれません。そうすると、今まで知らなかった彼の心が見えてきます。

事実と気持ちがセットで語られるとき、心は伝わってきます。だけど、普段の僕らは事実と気持ちのどちらかだけを話すようにしているものです。相手に心が伝わらないようにしているんですね。

それはそれで、悪くはない。

日々のコミュニケーションは、相手に心が伝わらないようにしておいたほうが安全ですから。でもね、あなたがせっかく話を聞こうとするのなら、両方がセットになるように聞いてみましょう。

気持ちを語っていたら事実を尋ねる。事実を語っていたら気持ちを尋ねる。これが質問のための小手先。

《命の器》

運の悪い人は、運の悪い人と出会ってつながり合っていく。やくざのもとにはやくざが集まり、へんくつな人はへんくつな人と親しんでいく。心根の清らかな人は心根の清らかな人と、山師は山師と出会い、そしてつながっていく。じつに不思議なことだと思う。“類は友を呼ぶ”ということわざが含んでいるものより、もっと奥深い法則が、人と人との出会いをつくりだしているとしか思えない。
どうしてあんな品の悪い、いやらしい男のもとに、あんな人の良さそうな美しい女が嫁いだのだろうと、首をかしげたくなるような夫婦がいる。しかし、そんなカップルをじっくり観察していると、やがて、ああ、なるほどと気づくときがくる。彼と彼女は、目に見えぬその人間としての基底部に、同じものを有しているのである。それは性癖であったり、仏教的な言葉をつかえば、宿命とか宿業であったりする。それは事業家にもいえる。伸びて行く人は、たとえどんなに仲がよくとも、知らず知らずのうちに落ちて行く人と疎遠(そえん)になり、いつのまにか、自分と同じ伸びて行く人とまじわっていく。不思議としか言いようがない。企(たくら)んでそうなるのではなく、知らぬ間に、そのようになってしまうのである。抗(あらが)っても抗っても、自分という人間の核をなすものを共有している人間としか結びついていかない。その怖さ、その不思議さ。私は最近、やっとこの人間世界に存在する数ある法則の中のひとつに気づいた。「出会い」とは、決して偶然ではないのだ。でなければどうして、「出会い」が、ひとりの人間の転機と成り得よう。私の言うことが嘘だと思う人は、自分という人間を徹底的に分析し、自分の妻を、あるいは自分の友人を、徹底的に分析してみるといい。「出会い」が断じて偶然ではなかったことに気づくだろう。
私はときおり、たまらなく寂しいときがある。私には親友がいないという気がする。親しい友人はたくさんいるが、真の友はひとりもいないなと思う。小説を、ひとり書斎にこもって書いていると、寂しくて寂しくてどうしようもなくなる。そんなとき、私は突然電話魔になって、夜中だというのに友人に電話をかけまくる。そしてしょんぼりと愚痴を言ったり、反対に虚勢をはって威勢のいい演説をぶったりする。小説を書くのはもういやだ。俺はもう疲れた。俺は機械ではない。俺はからっぽの錆びたバケツだ。もう何も出てこない。もう生涯小説なんか書けそうにない。そういって駄々をこねたりもする。電話をかけられた方は迷惑千万である。じゃあ、俺が代わりに書いてやるよなどとはいえる筈がないのだから。そして電話を切り、しょんぼりと蒲団(ふとん)にもぐり込んで、私はいましがた電話をかけまくった相手のことを考える。すると、その幾人かの友人もまた、真の友を持ち得ぬ者たちであることに気づくのである。どんな人と出会うかは、その人の命の器次第なのだ。
宮本 輝 著

《あなたの行動は自動運転》

あなたの行動にブレーキをかけているものは、「生まれつき持っている遺伝子」のせいではないのです。
では、いったい何があなたの行動を決めているのか。
ズバリ言えば、それは「潜在意識」です。
あなたの脳の中に、「こんなことをしていけない」というプログラムが潜在意識の中に埋め込まれているんです。
奴隷システムから抜け出すには、「そういうプログラムが潜在意識として脳内に組み込まれている」ことに気づいて、自分を客観的に俯瞰(ふかん)して見る必要があります。
この、自分の客観視なしには、どんなに本を読んでも、どんなセミナーに行っても、絶対に奴隷システムから抜け出せません。
それほど、「潜在意識」のパワーは強いのです。たとえば、何か行動をするとき。
自分で「考えて行動している」と思っているかもしれませんが、それは間違いです。
あなたの行動の95%以上は「自動運転」です。
なにも考えてなくても、食べたり、飲んだり、歩いたり、身体が自動的に動くうようにできている。
さ らに言えば、あなたが「一生懸命に考えた」と思っている1日にある1万2000~1万6000の思考のうち、95%は「前日とまったく同じ思考」、80%は「ネガティブな思考」でしかありません。
つまり、今日の行動の95%は無意識。
そして、今日の思考の95%は昨日と同じ考え。
そんなことを続けていて、人生が変わるわけがありません。なぜならば、
潜在意識に埋め込まれているプログラムが、
自分にブレーキをかけるからです。