《他者依存症》

 「世話」をやくことが、人びとの動きを規制していくことについて述べる。
 その一は、世話をやく云々(うんぬん)はどうでもよい話のようだが、これまた人びとをしてその主体性の邪魔をし、他者依存症を作り出す方へと作用するということである。
 世話とは「その人自身の力ではできないことを、力・知恵などを貸して助けてやること」だと辞書にあるが、この社会では、その人自身が頑張れば出来る事に、口出し、手出しをしている場合があまりにも多い。まさに、大人への過保護、過干渉と言うべきか。それを親切だと言う人の方が圧倒的に多いのだが。
 この冬1月の東京の大雪の日のNHKテレビの天気予報では、「明朝は余裕をもってお出かけください」としきりに言っていたが、こんなことまで言われないと、自分では考えられないということなのだろうか。
 世話をやくことが主体性の邪魔をする程度は、子供に対するよりも大人の場合の方が大きいと思う。子供の場合はまだ、人間の本性をかなり残しているので過保護、過干渉に対しては抵抗することが多いが、大人ともなると、ずるさも手伝ってか、これ幸いに受け入れて楽な方へと流れていってしまうからである。
 したがって、世話やきが組織体質となっているところでは、他者依存症の集団発生が起きてくることになる。
 その二は、世話をやくことは、指示するのと同類項でもあるということである。
 世話をやくとは「すすんで他人の為に尽力する」ことと辞書にもあり、なるほど外からはそう見えるし、本人さえもその気分なのかもしれない。ところがこの人たちの動きをよく見ていると、真意のところではこれが逆転しており、世話をやくのは自分の満足のためであって、結局は、自分が是(ぜ)と思うように部下を動かそうとしているのではないか、と思われてくるからである。