組織運営」カテゴリーアーカイブ

《民主主義》

民主主義では、よりよい社会を目指し、対話を重ねながら社会やルールをつくっていくことに意義があります。具体的な完成型があるわけでも、正しいプロセスがあるわけでもありません。つまり、ありのままの現実を受け止め、いま置かれている状況の中で、自分たちの社会をどうすればよくできるのかを考えていけばいいのです。

もちろんいまの段階でも日本という国は制度的にみれば民主主義国家ですし、18歳から投票ができ、基本的人権や言論の自由も憲法で保障されています。こうした基本的なことすら実現していない国が多く存在していることを考えると、日本人は恵まれているとさえ言えます。

しかし、制度だけあっても肝心の主権者である国民が、「自分たちで社会をつくるんだ」という当事者意識を持っていなければ、本当の民主主義とは言えません。

かつてドイツでは、ヒトラー政権が国民の支持を得て、合法的に選ばれました。民主主義とは仕組みだけあっても、国民が成熟していなければ間違った方向に進んでしまう不安定で危うい側面があるのです。その成熟した国民を育むことができるは、唯一[教育の力]だけ。私はそう考えています。

子どもたちに民主主義を教えよう  工藤勇一著から

 

《指示待ち量産?》

 「教える」こと、答を与えることが、人びとの動きを規制していくことについて述べる。
 その一は、そのことを「発見」するチャンス、正確に言えば「消化・発見」のチャンスを奪うことだということである。教えられてしまったことは永久に「発見」できないからである。教える方のニーズでそうした場合には、なおさらである。
 他から教えられるのと自分で発見するのでは、人間に対して逆な作用をもたらすことを記しておかねばならない。
 「消化・発見」と言うには程遠いありふれた話、私の体験の一(ひと)コマである。
 朝、私を起こしにきた妻がカーテンを開けながら、「7時よ、起きて。(庭の)椿が咲いたわよ」と言う。眠気まなこをこすりながら、私が「ああ、そう」と何とはない返事をすると、彼女は「感動がないわねぇ」と言うのである。そのしばらく後のことである。日曜日ともなると早く目を覚ます私が、朝食前に庭に出ると、花水(はなみず)木(き)の白い莟(つぼみ)が二つ、三つと目に入ってきた。食堂に戻った私は妻に「花水木が咲いたよ」と声をかけた。ところが、キッチンで朝食の支度をしていた彼女は、私に背を向けたまま、ただ「あら、そう」と言うだけなのである。
 私は「感動がないねぇ」とは言わなかったが、この違いはどこから生じたのであろうか。答はきわめて簡単明瞭、自分で発見したか、他から教えられたかにある。季節が来れば花は咲く。しかも莟(つぼみ)を見て、そろそろ咲くこともわかっている。こんなに当たり前のことでさえ、自分で見つけると、ささやかながら心が動いてしまうのである。
 「あっ、そうか!」と、たとえ些細(ささい)なことでも自分で発見すると、人間はじっとしていられなくなってしまうのである。心が動いてしまうのである。ことの本質だと思えるようなことを発見しようものなら、それこそ身震いすることになろう。

 その二は、「教えることは強制することとほとんど同じだ」ということである。これは山陽特殊製鋼会長の日渡惺朗氏の言葉だが、教えられた方は、その答しか知らないのだからそう思うより他にないわけだ。
 その三は、考えるチャンスを奪って、その結果として、「答待ち」「指示待ち」族を量産してしまうことである。この社会の大部分の人が、すでにそうなっているのではないかと思う。
 その四は、教える方のニーズによって教えられたものは、人びとの中で「知識抗体」と化してしまうことである。もちろん、「教える」がゼロでよいと言っているのではない。

《仕事とコミュニケーション》

コミュニケーションもタイムマネジメントスキルのひとつ

仕事には、“自分一人でやる仕事”と“他人と共同でやる仕事”があります。
一人でやる仕事としてみなさんは、書類作りや、パソコンでのデータ処理及び分析、部下が提出した書類のチェックなどを思い浮かべるでしょう。これらの仕事を一言で表現すれば、業務処理となります。一方、他人と共同でやる仕事とは、会議や商談、ミーティング、電話連絡などですが、これらを一言で括(くく)れば、情報処理(コミュニケーション業務)であると言えます。
それでは、みなさんは自分が一日のうち、二つの仕事をどれくらいの比率で行なっていると思いますか。仕事の科学研究会が企業コンサルタントとして収集したデータでは、業種を問わず、一般社員から社長まで、全社員の平均として、業務処理が4割、コミュニケーション業務が6割となっています。
この比率は役職によって違います。役職が上になり、部下が増えるほど、仕事の指示や委任などが増え、上司と部下の間で情報の中継役ともなる役割を思えば、コミュニケーション業務の比率が高くなるのは、当然です。
みなさんが自分の仕事を全うしたいと思うのなら、仕事の6割以上を占めるコミュニケーション業務の重要性にまず、着目してほしいのです。
タイムマネジメントはみなさんの仕事の生産性を向上させるためのものであり、その仕事の中で、コミュニケーションが大きな比重を占める以上、コミュニケーションもまた、タイムマネジメントスキルの一つなのです。

《ホーレンソー》

では、順番に報連相の型をお伝えしていきましょう。

まずは、報告の型です。一般的に報告とは、上司からの指示や命令に対して、部下が経過や結果を知らせることを言います。まめな報告をする部下は優秀に見えるので、部下にとってもプラスになるでしょう。
1. 案件名:まず、何についての報告か述べる
2. 結論:報告の要となる「結論は、こうです」の部分を述べる
3. 補足説明:結論を補足説明するための、背景や状況、経緯などを述べる
4. 感想:結論に関しての簡単な感想を述べる

続いて、連絡の型について解説します。ここでは、上司や部下に関わらず、簡単な情報を関係者に知らせることを言います。丁寧な連絡は、「私は聞いてない」といったトラブルを避けることができます。
1. 案件名:まず、何についての連絡かを述べる
2. 事実:連絡の要となる「いま、こういうことが起こっています」の部分を述べる
3. 影響:事実によって、「相手にどのような影響が及ぶのか」を述べる
4. 依頼:相手に依頼したいアクションについて述べる
5. 締め切り:アクションの期限を明確にしっかり伝える

最後は、相談の型です。判断に迷う時や助言が欲しい時に、上司や先輩、同僚に参考意見を聞き、アドバイスをもうらといった形で行われます。素直な相談は、周りの「こいつのために一肌脱いでやるか」という応援獲得につながります。
1. 案件:まず、何についての相談かを述べる
2. 事実:「いま、何が起こっているのか」という事実を述べる
3. 背景:「なぜそれが起こっているのか」という事実に至る背景を述べる
4. 自分の意見:「これに対して私はこう思う」という意見を述べる
5. 相手の意向伺い:「これについてどう思いますか」と相手の意見を伺う

《集団思考》

【依存】
集団思考における手抜きは、よく見受けるものです。何人かで話し合いをしていると、特に冴えた数人がアイデアを披露します。そうすると、その他の人々が彼らに依存してしまいます。これを防ぐ一つの方法は、個々のメンバーの個人的貢献や努力が、正当に識別・評価できるようにすることです。つまりアイデアの数を誰がどれだけ出したかを競ったり、一定時間でアイデアを出せないメンバーは辞退してもらうということです。
相互学習プロセスを破壊してしまうのは、メンバーの無自覚、依存です。みんなで対話するプロセスでの発見を期待しているのに、最初から「意見ありません」「わかりません」的な態度の人がいると、積極的な人の意欲まで削がれてしまいます。
【同調】
日本では長幼の序という思想があり、目上の人が言ったことには逆らわないという風潮があります。この風潮が日本人を討論はもちろん対話下手にしてしまっています。集団の中で大勢がある方向にまとまっていると、何となくそれに同調しないといけないような雰囲気ができてきます。これはあまりに多数決で何でも考えてきてしまった癖が抜けないからでしょうが、実に危険です。あるいは立場が上の人、ボス的な人がある意見や態度を表明していると、外のメンバーはその意見に同調しなければならないような感じになってしまいます。これは同調圧力と呼ばれますが、他の情報源からの情報を、自分の意見や判断の妥当性の根拠として受け入れる場合と、他の人の期待や反応をおもんばかる故に生まれてくるものとがあります。
【頑固】
逆転した権威主義、あるいは天の邪鬼とでもいうべきでしょうか。少数意見の少数であること自体に意味を見いだしてしまうものです。特に少数者の主張が一貫している、単に少数者の立場の反映には見えないこと、創造性を重んじる雰囲気があること等の条件下で発揮されやすくなります。創造的=少数意見と短絡してしまうタイプの人がこのような傾向をつくってしまいます。
【極化】
異なる意見のメンバーが話し合えば、極端な意見は中和され、全体としては中庸な結論が出るように思えます。けれども現実には、集団で話し合うと、個々人が考えているよりも、より極端な方向に結論が向かってしまうことが多くあります。これにはメンバーの持つ”志向”が強く影響します。もともとリスキー志向の強いメンバーが集まれば、よりリスキーになるし、保守志向のメンバーならば、より保守的な結論になってしまいます。つまり、それ以前の態度が、集団プロセスによって極端な方向に変容してしまうのです。
【団結】
勇敢なることを最優先にした旧日本軍では、敵の戦力のほうが圧倒的に強力であるというようなことが報告できなくなってしまいました。いつも「我が方が優勢なり」と報告しなければ、勇敢でないと思われてしまうからです。企業組織においても、課題を検討することよりも、メンバーが一致団結すること、メンバーの和のほうが優先されてしまうと、威勢よく意思はまとまるのですが、内容は空疎になってしまいます。
こういった集団思考が陥りやすい欠陥について、メンバーの方達が理解しあっていれば、それを回避することもできるはずです。

《城づくりの名人》

徳川(とくがわ)家康(いえやす)は、慶長(けいちょう)11年(1606)、江戸城の増築工事を、諸大名に命じた。
大名にとっては、その労力と費用を、無償で提供しなければならないから、たまったものではない。自分に割り当てられた部分を、いかに速(すみ)やかに終えるかが、経費の負担を大きく左右する。
この工事で、後世への教訓となる事件が起きた。
桜田から日比谷(ひびや)にかけての石垣造りは、加藤(かとう)清(きよ)正(まさ)*(熊本城主)と、浅野(あさの)幸長(よしなが)*(和歌山城主)に命じられた。
加藤家では、建設現場に沼が多いことを確かめると、まず、付近の山野から、カヤ*を刈り取ってくるように指示を出した。
毎日、大量のカヤが運びこまれてくる。それを次々に沼へ投げ込んでいくのだ。さらに土をかぶせて平坦なグラウンドができ上がると、今度は、10歳から14歳くらいの子供を大勢集めてきて、思う存分、遊ばせた。朝から夕暮れまで、大人も交じって、笛や太鼓をたたき、踊ったり、歌ったり、大変な騒ぎが、何日も続いたのである。

一方、隣の浅野家は、沼を埋め立てたら、すぐに石を積み始めた。
工事は至って順調である。
石垣が半分以上でき上がるころになっても、加藤家の持ち場には、石さえ運ばれてこない。子供たちを遊ばせているだけなので、浅野の家臣は、
「一体、何を考えているのか。もっと真面目にやれ!」
と、あざ笑っていた。
加藤家の現場監督は、子供たちに踏み締められて、十分に堅くなった地盤を確かめてから、ようやく石垣を築き始めた。
当然ながら、完成したのは、浅野家よりも、ずっと後だった。

間もなく、江戸を台風が襲った。すさまじい暴風雨である。
この大雨で地盤が緩み、浅野家が築いた石垣は、何ヶ所も崩れおちてしまった。だが、慌(あわ)てず、急がず、じっくり基礎を固めてから築いた加藤家の石垣には、少しも損傷はなかった。
基礎をおろそかにした浅野家は、かえって修復工事に莫大な経費を投ずることになってしまったのである。
この教訓は、江戸時代を通じて、長く語り継がれることとなった。

*加藤清正(1562-1611) 安土桃山時代の武将 尾張国(現在の愛知県)の生まれ
*浅野幸長(1576-1613) 安土桃山時代の武将 近江国(現在の滋賀県)の生まれ
*カヤ 屋根をふくのに用いる草の総称

《貧乏ひまなし》

あまりにも多数の例外事象が発生すると、組織内を上下に流れる情報が過剰になり、上司たちが自分の頭で考える時間がどんどん減っていってしまう。これが極端なところまでいくと、トップ・マネジメントまで日常業務の例外処理に追い回されるようになる。その企業が長期的に存続し、成長していく上で必要なことを考える人が一人もいなくなってしまう。

そもそも人間は、目の前に大量のルーチンワークを積まれると、その処理に追われ、創造的な仕事を後回しにしてしまう傾向がある。創造的な仕事とは、仕事のやり方自体を根本から変えるとか、長期的な展望を描いてみるといった作業のことである。「ルーチンワークは創造性を駆逐する」。ハーバード・サイモンの言う意志決定のグレシャムの法則(計画のグレシャムの法則)である。つまり、日々のルーチンな仕事に追われている人は、ルーチンな仕事の処理に埋没して長期的な展望とか革新的な解決策とかを考えなくなってしまう、ということである。

膨大なルーチンワークが存在し、それに追われている状況というのは、背後に何らかの構造的な要因があることを意味しており、本当は何が本質的に問題なのかを考えなくてはならないはずなのに、それを考える余裕がない。「貧乏ひまなし」だから、「貧すれば鈍する」のである。(もちろん逆に、暇が多くなった組織では、「小人閑居して不善を為す」という問題に直面することもある。忙しすぎるのも、暇なのも、どちらも問題がある)。

《見える化とは、見せる化》

見たくなくても目に飛び込んできてしまう・・・そんな「見える化」の状態をつくり出すには、どうしたらよいだろうか。
たしかに、アンドンに代表されるような仕組み・仕掛けを工夫することは、きわめて重要である。トヨタにはアンドンだけでなく、「稲妻(いなずま)チャート」や「星取表」といった独自の「見える化」の仕掛けが存在し、そうした仕掛けをより効果的なもの、より利便(りべん)性の高いものにするためにITも活用されている。
では、「見える化」の仕組み・仕掛けを考案し、導入しさえすれば、「見える化」は定着するのだろうか。
残念ながら、仕組み・仕掛けだけでは実際に「見える化」は機能しない。
多くの場合、「見える」ようにするためには、「見せる」という意志や行動が必要となる。「火事場」理論のように、火の手という異常がいきなり目の前にあらわれることもあるが、企業活動においては、そうした異常や問題が露見する前に、小さな変化や予兆を暗示する事象(じしょう)や数字が必ずあるはずだ。それをつかみ、「見せる」ようにしなくてはならない。
「見える化」とは「見せる化」であり、「見せよう」という意志と知恵がなければ、「見える化」は実現できないのである。
そして、「見せよう」とする主体はあくまで「人」である。当たり前のことであるが、機械やIT自体には「見せよう」という意志はない。
真の「見える化」を実現するとは、「見せる化」を推進することであり、そのためには、「見せよう」とする「人づくり」こそが鍵なのである。

《SECIモデル》

 世界の経営理論・・・入山章栄著より

 『直観の経営』で野中教授が語るのは、SECIモデルは現象学と親和性が高い、ということだ。これは、フッサールやメルロ・ポンティなどが確立した哲学の一種である。端的に言えばそのエッセンスの一つは、「主体と客体の同一性」にある。従来のデカルト的な二元主義の科学観では、分析相手や対話の相手はあくまで「自分から完全に切り離された客体」であった。一方の現象学では、主体と客体の一致を唱える。まさに「他者との共感」だ。先に述べたように、共感はSECIモデルの共同化に不可欠なプロセスだ。
筆者が野中教授と対談した時もまさにこの話題になった。そこで野中教授が語ったのは、稲盛和夫氏が創業した京セラでのコンパの模様である。

 京セラのコンパというのは、本社の12階にある百畳敷きの和室でやるんです。畳の部屋には理由があって、椅子だと自由に移動できず、身体の共振が起こらないからなんです。
 その部屋で肩を寄せ合い、みんなで一つの鍋をつつき、酒を飲みながら本音で対話をする。手酌は御法度。自分の盃に注ぐのはエゴイズムの象徴だということで、ひたすら相手に注ぎまくる。それをみんなでやっているうちに、どれが誰の盃かわからなくなって、考え方もme thinkingからwe thinkingになっていく。

 あのような会社では、三日三晩飲みまくるとか、本当にやるんです。そうすると、もう幼児のような状態になって、本質を求める「Why?」の意識が脳の感覚質に入ってくる。徹底的に議論を重ねるうちに、地下水のような共通感覚に到達し、互いに「そうとしかいいようがないよね」というところまで行き着くんです。

 おもしろいのは、ビジネスジェット機「ホンダジェット」のプロジェクトリーダーだった藤野道格さんの話です。
 アメリカでは酒を飲みながらワイガヤしたのかと私が聞いたら、そうじゃないと。酒を飲まなくても、まっとうに向き合えば全人格的な議論はできるんだと。日常の仕事の中で矛盾を解決するときは、必ず1対1で全人格的に向き合ってやる。
 それがワイガヤの本質なんだと話していました。

 こうした、まさに全人格をかけた知の格闘をするとこで、やがて互いが「我、汝」の関係になっていき、現象学の主張するように、主体と客体が一体化していくのである。結果、共感が発生し、共同化が進んでいく。
 この意味で、野中はいま企業で導入されているブレーンストーミングに懐疑的だ。実際、ブレストからはなかなかアイデアが出ないという経営学の研究結果については、前章で述べた。必要なのは、「共感・共同化に到るまでの徹底的な知的コンバット」なのだ。コンバットをするには、快適なコワーキングスペースでゆったりと椅子に座って、ポストイットを使って多人数で行うブレストは「快適すぎる」のだ。
 そう考えると、いまの時代、一対一で徹底的に、何日も何日も知的コンバットをしているビジネスパーソンはどれくらいいるだろうか。よく考えれば、成功した企業の創業者は2人組であることも多い。ソニー創業時の井深大氏と盛田昭夫氏や、ホンダの本田宗一郎氏や藤沢武夫氏は、毎日のように2人で知的コンバットをしていたのではないか・・・。

《やる気のある社員から辞める》

 ネットの記事に『やる気のある社員』から会社を辞める当然の事情という内容のものがありました。大変共感しましたので、概略をご案内します。

 まず、厚生省の令和2年雇用動向調査結果における『転職入職者が前職を辞めた理由』では、『給与等収入が少なかった』は、男性9.4%、女性8.8%と1割に達していません。

 また、会社が把握している表面的な離職理由
➀キャリアアップしたい
➁仕事が自分に合っていない
➂実家や親族、友人の仕事を手伝うことになった
➃家庭の事情で働くのが難しくなった
➄給料や労働条件に不満があった
 本音としての離職理由を会社に伝えず、角が立たない離職理由を伝える離職者は少なくありません。

 本音としての離職理由としては
➀上司、同僚など、職場の人間関係がうまくいかなかった
➁会社の方針についていけない、共感できない
➂仕事が面白くない、やりがいを感じない
➃会社や業界に将来性を感じない
➄給料や労働条件に不満があった
➅成長を感じられない、さらなる挑戦をしたい
 なかでもとりわけ多いのが、『上司との関係がうまくいかなかった』というものでした。

 ここから導き出せることは次の3つになると考えます。
【会社と個人の価値観の一致】【成長欲求を充たす】【承認欲求を上司が意識する】
 お金(給与)に固執しないで、経営方針・理念、人材育成、コミュニケーションスキルといった面からのアプローチが大切だということに気付かされました。