《SECIモデル》

 世界の経営理論・・・入山章栄著より

 『直観の経営』で野中教授が語るのは、SECIモデルは現象学と親和性が高い、ということだ。これは、フッサールやメルロ・ポンティなどが確立した哲学の一種である。端的に言えばそのエッセンスの一つは、「主体と客体の同一性」にある。従来のデカルト的な二元主義の科学観では、分析相手や対話の相手はあくまで「自分から完全に切り離された客体」であった。一方の現象学では、主体と客体の一致を唱える。まさに「他者との共感」だ。先に述べたように、共感はSECIモデルの共同化に不可欠なプロセスだ。
筆者が野中教授と対談した時もまさにこの話題になった。そこで野中教授が語ったのは、稲盛和夫氏が創業した京セラでのコンパの模様である。

 京セラのコンパというのは、本社の12階にある百畳敷きの和室でやるんです。畳の部屋には理由があって、椅子だと自由に移動できず、身体の共振が起こらないからなんです。
 その部屋で肩を寄せ合い、みんなで一つの鍋をつつき、酒を飲みながら本音で対話をする。手酌は御法度。自分の盃に注ぐのはエゴイズムの象徴だということで、ひたすら相手に注ぎまくる。それをみんなでやっているうちに、どれが誰の盃かわからなくなって、考え方もme thinkingからwe thinkingになっていく。

 あのような会社では、三日三晩飲みまくるとか、本当にやるんです。そうすると、もう幼児のような状態になって、本質を求める「Why?」の意識が脳の感覚質に入ってくる。徹底的に議論を重ねるうちに、地下水のような共通感覚に到達し、互いに「そうとしかいいようがないよね」というところまで行き着くんです。

 おもしろいのは、ビジネスジェット機「ホンダジェット」のプロジェクトリーダーだった藤野道格さんの話です。
 アメリカでは酒を飲みながらワイガヤしたのかと私が聞いたら、そうじゃないと。酒を飲まなくても、まっとうに向き合えば全人格的な議論はできるんだと。日常の仕事の中で矛盾を解決するときは、必ず1対1で全人格的に向き合ってやる。
 それがワイガヤの本質なんだと話していました。

 こうした、まさに全人格をかけた知の格闘をするとこで、やがて互いが「我、汝」の関係になっていき、現象学の主張するように、主体と客体が一体化していくのである。結果、共感が発生し、共同化が進んでいく。
 この意味で、野中はいま企業で導入されているブレーンストーミングに懐疑的だ。実際、ブレストからはなかなかアイデアが出ないという経営学の研究結果については、前章で述べた。必要なのは、「共感・共同化に到るまでの徹底的な知的コンバット」なのだ。コンバットをするには、快適なコワーキングスペースでゆったりと椅子に座って、ポストイットを使って多人数で行うブレストは「快適すぎる」のだ。
 そう考えると、いまの時代、一対一で徹底的に、何日も何日も知的コンバットをしているビジネスパーソンはどれくらいいるだろうか。よく考えれば、成功した企業の創業者は2人組であることも多い。ソニー創業時の井深大氏と盛田昭夫氏や、ホンダの本田宗一郎氏や藤沢武夫氏は、毎日のように2人で知的コンバットをしていたのではないか・・・。