《聞く力》・・・阿川佐和子より

97歳の反論

「ちょっと、私の話も聞いてちょうだい」
驚きました。でも確かに伯母の言い分はもっともです。いくら高齢と言ってもまだ気力も体力もしっかりしています。昔に比べれば言葉を発するテンポが遅くなってはいるものの、人と会話が成立しないほど惚(ほう)けているわけではありません。
「あ、ごめん」
反省しました。
そのとき私は初めて、老人のテンポについて考えました。テンポが遅く、質問してもなかなか答えが返ってこないと、つい、「あ、惚(ほう)けているのかな」と思い込む。そしてこちらは何かと忙しいものだから、言葉が出てくるまで待っていられない。よって催促する。あるいは代わりに答えてあげる。
「何が欲しいの?」
「あ-……」
「お醤油(しょうゆ)? お醤油はあんまりかけない方がいいって、お医者様に言われたでしょ。塩分が強いんだから。薄味が身体にいいのよ」
「でも、明日は……」
「なに、明日? 明日のことは今、決めなくていいの。心配ないから、ね」
高齢者のゆっくりした話し方を聞いていると、最後まで我慢できず、つい先廻りしたくなります。でも、待っていられないのは一方的にこちらの都合であり、高齢者は自分の言い分を無視されて、おおいに傷ついていることでしょう。

高齢者に限らず、人にはそれぞれに話すテンポというものがあります。
ゆっくり話をする人にインタビューするとき、相手の答えが出てくる前に、こちらで予測して答えてしまうことがある。どちらかというとせっかちな私は、ときどき、やってしまいます。
答えるはずのゲストが答えない。しばしの沈黙が続く。どうしよう。この答えは諦(あきら)めて、次の質問に切り替えようか。それとももう少し待とうか。
迷うところです。迷った末、同じ質問を、別の言葉で言い換えることもあります。そうすることが正解である場合もありますが、あまり多用しない方がいい。
言葉を置き換えたり、答えを促(うなが)したり、一見、親切な聞き手のようですが、結果的には答えようとしている人を追い立てることになります。
ここは我慢大会。沈黙が続いた時、私はいつも、そう思います。テレビやラジオの仕事の場合は、放送中の沈黙は、放送事故と思われかねないので、あまり長く待つことができませんけれど、それ以外での対談なら、できるだけ待つ。
若いころはこれができませんでした。質問を見失ったと思われることが怖かったからです。答える側がテキパキ答えてくれないなら、すぐさま次の質問に移ることの方が有能だと思っていたのです。でも、この頃は、じっと待っていると、相手の心や脳みそがその人なりのペースで動いていると感じられることがあります。決して故意に黙っているわけではない。今、お相手は、ゆっくりと考えているのだ。そのペースを崩すより、静かに控えて、新たな言葉が出てくるのを待とう。その結果、思いもかけない貴重な言葉を得たことは、今までにもたくさんありました。

阿川佐和子 「聞く力」より