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《苦闘を大切にする》

ある日、少年が外で遊んでいると、木の葉にまゆが付いているのが見えた。少年はそのまゆを部屋に持ち帰った。数日後、チョウがまゆを破って外に出ようと苦闘し始めた。長くて厳しい戦いだった。少年にはチョウがまゆの中に閉じ込められているように見えた。チョウの動きが止まったことを心配した少年は、ハサミでまゆを切ってチョウを助け出した。
しかし、そのチョウは翼を広げて飛ぶことができず、ただ這い回るだけだった。本来なら、まゆの小さい穴から苦闘しながら出ることによって体液が翼にまで行きわたり、チョウは飛べるようになるはずだったのだ。
この教訓は私たち人間にもあてはまる。人生は苦闘の連続だが、もし苦闘しなければ、私たちは本来の強さを発揮することができなくなる。苦しい思いをするのは誰でも嫌だが、苦闘は成長の機会でもある。自分の人生を切り開く人は、逆境が人格を鍛えることを理解し、苦闘を歓迎する。
ほんの少しの努力で成し遂げられることばかりしてきたなら、あなたは今以上に成長することはないだろう。チョウの苦闘が翼に強さを与えるのと同じように、あなたの苦闘も強さを獲得するうえで必要なのだ。
成否の分かれ目は、ピンチの瞬間に来る。困難に直面したとき、あなたは前進し続けなければならない。そうすることによって初めて、挫折を乗り越えて飛躍する能力が発揮できるのだ。

《思い込みの壁》

サーカスのゾウは、ロープで杭につながれてじっとしている。杭を引っこ抜くだけの力を持っているのに、なぜその力を発揮して逃げ去らないのだろうか?
答えは簡単。
「自分にはたいした力がない」と思い込んでいるからだ。
ゾウは子どものころ、鎖で杭につながれて毎日を過ごす。小さいのでたいした力がなく、杭を引っこ抜くことができない。ゾウは大きくなってからも、その思い込みにとらわれ続ける。調教師はそれを知っているから、鎖のかわりにロープを使ってゾウを杭につなぎとめる。大きなゾウにとって、杭を引っこ抜くくらいたやすいはずだ。しかし、ゾウは「自分には大した力がない」と思い込んでいるから、何もせずにじっとしている。
これは人間にもあてはまる。「自分にはたいした力がない」と思い込んで、平々凡々と人生を送っているからだ。多くの人は自分で限界を設定し、本来の力をぞんぶんに発揮できずにいる。
あなたには非凡な能力がある。それを発見して伸ばすことが大切だ。「自分にはたいした力がない」という思い込みから自分を解き放とう。発明王エジソンは「もし人間が自分にできるすべてのことをしたなら、自分でも驚嘆するほどの偉業を成し遂げられる」と言っている。
あなたは素晴らしい可能性を秘めている。ゾウが巨木を引っこ抜く力を持っているのと同じように、あなたも非凡な能力を持っているのだ。その事実に気づけば、自分を信じることができる。それは山をも動かす強い力となる。

《レッテルはがし》

 イソップ物語では、油断大敵、ウサギの慢心(まんしん)、カメの頑張り、こういうところで終わるわけですが、ウサギの人生はそこで終わったわけではありません。まだ始まったばかりなのです。
 ともすると、ウサギに貼られた「レッテル」、カメとの競争の過程でイソップがつけた「レッテル」、それ以外にもご丁寧にウサギのダメなところを、これでもかと言わんばかりに、後生(こうせい)のお利口さんたちがつけた「レッテル」で、ウサギを見てしまいがちです。
 「ああ、ウサギね」
 「ウサギのことなら知っているよ」
 「しょうがないよ、ウサギだから」
 「ウサギ、イソップ、月で餅つき」
 一度レッテルを貼られると、悪いことに本人も、周りも先入観を持ってみるようになります。どのウサギもカメをからかって、それから昼寝している。それ以外のウサギはお月さまで餅をついている。
 現実にはそういうウサギは一匹もいないのですが「レッテル」を貼られると、あたかもそうであるかのように思われるものです。

 問題なのは本人もそう思い込んでしまうところです。最初に教えておかなくちゃ。ウサギは月で餅なんてついていないし、あれっきりカメと競争なんてしていないということを。
 それから誰かに貼られたレッテルなんて、とっとと剥(は)がしていいんだということを。そんなものファッションでも何でもないんだから。

《教えることの目標》

「相手の上達」が幸福感を生み出す

いま、「教える」という行為には人気がありません。
教えるという言葉には、どこかしら人を抑圧(よくあつ)し、管理するというイメージが染みついています。教えることで自由や個性が押さえつけられて、いまのような日本社会の停滞(ていたい)が生まれているという論(ろん)も多くなっています。
けれども、私は、そうは思いません。「教える」イコール「管理」というイメージは、下手な教え方をする人がいることによって、根付いてしまったものです。
そもそも、教えるということの目標は、教えられている側が「できるようになること」です。
その目標が達成されたときには、教えた側、教えられた側、双方に幸福感が生まれます。
なぜなら、人間にとって、できなかったことができるようになる、つまり「上達する」というのは限りなくおもしろいことだからです。教えられた側からすれば、自分に能力があることを実感でき、身につけた技で自分も楽しみ、人を喜ばせることもできる。こんなに楽しいことはないでしょう。
また、教えた側は。教えた相手に喜ばれることで、とても大きな幸福感を得られます。
ですから、まず最初に私が訴えたいのは相手がきちんと上達するような上手な教え方ができるのならば、「教える」ことは決して悪いことではないということです。
教えるということは、本来、教える側、学ぶ側ともに、幸福感を生み出す行為なのです。

上達のためには「練習」をさせろ

人に何かを「教える」にあたって、教える側は説明するだけで相手は聞くだけ、というスタイルには限界があります。話を聞いているだけでは、部下は決してできるようにならないものなのです。
部下の意識を高めるためには、当然、「説明」も必要です。しかし、部下を上達させるためには、「練習させる」ことが必要です。
練習をさせて、自分の知識や技を「移して」いくわけです。ですから、私は、教えることの中心は、練習メニューをやらせることにあると考えています。
教えるということの最終目的を「相手ができるようになること」だとすると、学ぶ側ができるようになったかどうか、これだけが教えたことの評価なのです。
上司がうまい課題を設定すれば、部下は課題がないときよりもむしろ生き生きしてきます。ですから、上手な課題を与える、使命感を与えるというのがポイントなのです。
使命感を持ったときに人間はいちばん生き生きしますし、充実感を持ちますから、なんとかできるものなのです。「自由にやってごらん」という人もいますが、自由に考えている時間というのは、私は実は無駄な時間だと思っています。それよりも、「とにかく答えを出せ!」「アイディアを出せ!」と強いミッションを与えるほうが、教わる側も充実します。
それが達成できたときの充実感、あるいは達成しようと努力している最中の充実感を与えることこそが「教える」行為なのです。

《ガスリーのコート》

 ≫いくら言ってもコートをかけない子ども

 カウンセリングのスキルのなかには、行動心理学、あるいは行動療法と呼ばれるものがあります。これは『ガスリーのコート』という話のなかで紹介されています。
 『ガスリーのコート』では、次のような質問が投げかけられます。

「子供が外出先から帰ってくると、コートをかけずにポーンとそこに放り出して出かけてしまいます。親のあなたとしては当然『コートをかけなさい』と注意します。しかし子どもはその時だけ『ハーイ』と生返事をして、また翌日学校から帰るとコートを放り投げます。さあ、あなたはこの子どもにどうやってコートをかけさせますか」

 私はカウンセリング講座でいつもこのコートの話をするのですが、「叱りつける」「コートをかけるまで外に出てはいけない、と言う」「コートをかけるまでご飯を与えない」「子どもがコートをかけたくなるような、かわいいキャラクターのハンガーを買ってあげる」…いろいろな意見が出てきます。

 しかし、正解者はなかなかいません。この場合の正解はこうです。
 「子どもに放り出したコートを着せて、もう一度ドアの外に出し、改めて『ただいま』と言って入ってこさせる」
 つまり、全く同じシーンを繰り返させ、コートをハンガーにかけることができるまで、繰り返しトレーニングするというのが『ガスリーのコート』の教訓なのです。
「そんなことをして、本当に効果があるのだろうか?」と思う人がいるかもしれません。しかし繰り返しがなければ、習慣として身につかないのです。

《行動を変えると結果が変わる》

 ≫すべてのビジネスは行動の集積でできている

 いかなる企業(店舗)も当然ながら売り上げアップに必死です。そこで重視されるのが目標設定。
 会社の売上げ目標額はそれぞれの事業部門や店舗に振り分けられ、それをもとにそれぞれの社員の個人目標が決まります。
 そして、各社員のがんばりは「目標を達成したか?」「いくら足りなかったか?」という「結果」によって判断される。それが一般的なマネジメントですよね。
 もし、目標が達成できなかった人がいれば、「どうした!? もっとがんばらなきゃダメじゃないか!」と檄(げき)が飛(と)ぶことになります。
 では、このように、目標の数字を決め。それを達成できたかどうかという「結果」だけに着目していれば、確実に業績は上がるのでしょうか? 「結果」だけをチェックすれば、社員は成長するものなのでしょうか? 答はノー。
 注目すべきは「結果」ではなく「行動」です。
 なぜならば、物事の成果は、すべてその人の「行動」の積み重ねによって成り立っているからです。
 たとえば、100mを55秒ジャストで泳ぐ自由形の水泳選手がいたとしましょう。
 タイム(結果)は、飛び込み、ストローク(腕の動き)、キック(脚の動き)、息継ぎ、折り返しの動作、ゴールタッチなど、一つひとつの行動の集積によって生まれています。
 さらにタイムを縮めたいと考えたとき、指導者は何をすべきでしょう?
 「とにかく54秒台を目指せ!ガッツだ!根性だ!」と声を荒げるだけで、確実に記録が伸びると思いますか? 思いませんね。
 選手の一つひとつの動作(行動)をチェックして改善すべきところを伝え、それが実践できるよう指導することで、成果は上がっていきます。

 ビジネスだって同じ。すべての結果は社員の「行動の集積」によるものです。
 行動を変えるためのひとつとして、シンプルで有効的な方法があります。それがグラフ化です。
 数えた回数をグラフ化するのに、特別なスキルは必要ありませんし、言葉や態度で示すのが苦手な人にとってはかえってやりやすいはず。

 壁に貼っておけば、部下たちがいつでも目にすることができますから、順調に行動の数が増えている人にとっては大きなはげみになりますし、数が増えていない人は「もっとがんばらなきゃ!」という気になるでしょう。

 もうここまでお読みの方ならお分かりだと思いますが、グラフ化するのは「成果」ではありません。結果(成果)を変えるには、そこにいたる行動を変えるしかない。
 この原則に沿って“成果につながる、望ましい行動”を増やすのが目的のメジャーメント&グラフ化によるフィードバックですから、回数を数え、グラフにするのは“成果につながる、望ましい行動”でなくてはなりません。

《無意識に出来ること》

 きみの体は何者か・・・伊藤亜紗著より

 たとえば、「歩く」はどうかな。
 みんな、自分がどうやって歩いているか説明できる?
 えっと、右足のカカトを地面につけて、そこから徐々に体重を左足から右足に動かしていき、右足の裏が全部地面についたら左足を浮かせて膝をまげていって・・・・
 なんとか言葉で説明できたとしても、たとえば赤ちゃんがそれを聞いて「ふむふむ」って歩けるようになるかな?赤ちゃんに歩き方を教えることはできる?
 たぶん、無理だよね。
 そう、歩くことは体が勝手にやってくれていることだ。だから、言葉で伝えるのは難しい。考えなくてもできる。というか考えるとかえってできなかったりする。これが体のすごいところ。
 「走る」「跳ぶ」「自転車に乗る」「食べる」「呼吸する」「消化する」・・・
 「歩く」だけじゃない。たいていのことは体が勝手にやってくれている。最初は意識して練習してやっていたことも、慣れるにつれて意識しないでもできるようになる。あたりまえになる。文字通り「身につく」ということだ。

※習慣とか態度もいつの間にか「身につけたもの」です。このように自分自身で身につけた習慣や態度は変えることができます。
 身につけたい習慣や態度を最初は意識して行動します。何度も何度も繰り返すことで新たな習慣や態度が自然なものになります。

《だまし絵を考える》

 あなたは、《だまし絵》を見たことがあるでしょうか?よくセミナー等で使用されるものに“老婆と娘”のだまし絵があります。以前ハーバードビジネススクールの授業で認知実験をしていたようです。

 授業の内容は、受講生をAグループとBグループの二つに分けます。そして、Aグループには若い娘が見える絵を見せます。Bグループには老婆が見える絵を見せるのです。そのあとで“老婆と娘”のだまし絵を見せるのですが、誘導した意図通りにAグループの生徒達には若い女性が見えます。一方、Bグループの生徒たちは老婆が見えます。もちろん、AグループもBグループも全く同じものを見ているにもかかわらずです。

 実に興味深いのですが、一旦意図的に誘導されてあるものが見えてしまうと《思い込みの力が働いて他の可能性を無視してしまうということがおきます。》日常生活の様々な場面で同様のことが起きていると考えられますが、気をつけなくてはいけません。

 対応策としては、“常識を疑ってみること” “他者の意見や考え方に耳を傾けること”で防ぐことが出来ると考えます。

 ネットで“だまし絵”を検索すると、実にたくさんのだまし絵がヒットします。

《歩き続ければ、大丈夫》

 “歩き続ければ、大丈夫”・・・佐藤芳之著

 最近読んだ本で印象に残った一冊です。

 35歳でアフリカの地で、ナッツの会社を一大ビジネスに育て上げ、その会社をアフリカ人に譲り70歳にして新たに新ビジネスに挑戦しているすごい人です。

 そんな本の中にチョット笑えた内容がありましたので紹介します。

 アフリカでこういう昔話を聞いたことがあります。

 ある夜、ドーンと大きな音がしました。村人は何事かと家から飛び出すと、地面に大きな穴が空いていました。いったい何が落ちたのだろう。村人は穴を覗き込んであれこれ調べ始めました。ところがいっこうに落ちた物は見つかりません。困りはてた村人は長老のところに相談に行きました。

 すると長老はいいました。
 『おまえたちは何をいっているんだ。穴が落ちてきたに決まっているだろう』
 『ああ、そうか』
 村人たちは納得していつもの仕事に戻りました。

 というお話です。

 実におおらかな生き方だと感じました。些細なことにこだわらずに“穴が空いたらなら、それでいいしゃないか!”ちょっと真似したいと思いました。

 

《へこたれない》

 “へこたれない”・・・鎌田 實 著より

 風ちゃんは四十五歳。脳性まひで体感機能障害がある。両手は全く使えない。字を書くのも足で。二本の箸も足で持つ。

 こんな風ちゃんの話しです。

 人は一人では生きてはいけない。人と人とのつながりの中で生きる。だから、人の心をつかまえることが大切。風ちゃんは人の心をつかむ達人だった。
 風ちゃんは立ち上がって、自分の詩を朗読した。脳性まひの特徴である筋の緊張が起きて、上手くしゃべれない。身体が曲がる。しぼり出すように始まった。ひと言ひと言が輝いている。上等な一人芝居を見ているようだ。
『昨日、障害者でした。今日、障害者でした。明日、たぶん障害者でしょう』
 教室中に涙があふれ出す。
 風ちゃんは言い切った。
『ある小学校に講演に行った。校長先生が私を紹介してくれた』
『不幸にして障害を持った風ちゃんです』
 この野郎と思った。初対面の他人から『不幸な風ちゃん』なんて言われる筋合いはない。幸せか不幸せかは自分で決めるもの。私は手が動かなくても、足を使って、けっこう幸せに生きている。
 風ちゃんがいたずら坊主のように、ニコッと笑った。
 身体は不自由だけど、私は自由だ。
 身体は不自由だけど、私は不幸ではない。
 自由も、幸せも、ちょっと視点を変えれば見えてくる。
 自由も、幸せも、よくばらなければ、つかまえることができる。
 自由も、幸せも、へこたれなければ、手に入れることができる。
 だれでもできる。きっと。