《酒田の本間家➀》

 山形県酒田市に、1689年から昭和の時代まで繁栄した本間家があります。初代原光から十代真子まで三百年にわたって地主・金融・廻船等の事業を展開しました。
 
 初代原光は、問屋業で古着・染物・金物などを主にした関西の雑貨を仕入れて卸売りをしていました。庄内からはお米を関西に販売していたものと考えられます。そして、商売で利益が出でお金が残ると田地を買い求めていきました。享保9年の下り荷物値段付けとして、反物・薬・釜・古手・扇子・夜着・布団・綿・仏壇・筆墨・桐油・硫黄・白粉・氷砂糖・畳表・紙類などの品物の仕入値が細かく記載してあります。当時としては、百貨店のような働きをしていたのでしょう。

 初代原光は67歳で亡くなっていますが、子孫に次のような言葉を残しています。
『太平の世に生まれ安んじて家業を営み、父母妻子と生活する皆国君の賜りである。いやしくも資力に余裕があらば、分に応じ義を尊び、万分の一でも報じざるべからず、厚くこれを子孫に訓戒し、時に応じて其志を成さしむ』
 
 本間家では《質素・倹約》を末代まで家訓として大切にしています。