《指揮者・佐渡裕》

 私ごとなのですが、母校吹奏楽部が先週末に行われた県大会を突破して長年の目標であった東北大会への出場キップを手にしました。私は三十数年前の卒業生ですが、連絡を貰ってとても嬉しく感じました。

 話は、少し前になりますが【2011年5月20日】指揮者・佐渡裕がベルリンフィルの指揮台に立ったのをテレビで見ました。2・3日後の新聞に記事が出ていたのですが、記事の隅に小さく『20年後の自分・・・ベルリンフィルハーモニーオーケストラの指揮者になる』と小学生の佐渡裕が描いていた手書きのメモが紹介されていました。5月、佐渡裕は小学生からの夢であったベルリンフィルの指揮台に立ったんですね。この記事を事前に読んでからテレビを見ていたら、もっと感動していたことと思います。

 読売新聞の記事から紹介します。
 佐渡裕は泣いていた。
 峻烈なショスターコーピッチの交響曲第5番の演奏が終わり、繰返し巻き起こったカーテンコールののち、楽員たちはステージから退場した。しかし、拍手は鳴りやまない。それどころか、人々は指揮者が登場する下手の扉をめがけて押し寄せてきた。再び姿を現した汗だくの佐渡は、感極まって涙を抑えることができなかった。無邪気な子供の頃からの夢。メディアでは、それを叶えた成功コメントばかりがクローズアップされたが、彼が日夜どれほど真摯に音楽と向い合い、人や世界と向き合って精進を積み重ねてきたかは、周囲の人間なら誰でもが知っていることだ。ベルリンフィルへの道は一日にして開けたものではない。ママさんコーラスや高校の吹奏楽部、オペラ団体の下振りから始まった彼の指揮者人生は、思いがけず訪れたレナードバーンスタインや小澤征爾との出会い、そしてフランスでの大躍進を経て、近年ではドイツを中心に名門オーケストラへの客演指揮が相次ぐまでに開花した。バイエルン放送交響楽団・ドレスデン国立歌劇場管弦楽団・ベルリンドイツ交響楽団・パリ管弦楽団などで積み重ねてきた成功が評判を呼び、結果として今回の晴れ舞台につながったのだ。