《名越先生のQ&Aから》

名越:  これはカウンセリングの師匠(ししょう)に昔聞いた言葉なんですけど、「うつというのは、心を車に例えて言うと、ブレーキを踏(ふ)みながらアクセルを踏んでいる状態なんだ」と。うつって、普通はエンジンをかけても心が動かない状態だと思うじゃないですか。でも実は、うつの人はものすごくアクセルを踏み込んでいる。ところが、同時にブレーキも思いっきり踏んでいる。だから、動けないままエネルギーはどんどん消費される、と。
しかし、これはうつの人に限らない。僕たちは日常の中で、確かにアクセルを踏んでいるんだけど、無意識にブレーキも2割ぐらいの力では平気で踏んでいるんです。それが例えば、ネガティブな気分に心がぼんやり支配され、集中力が落ちている時ですよね。たぶんそんな時、僕たちの頭の中は「自分は今、疲れている。だから、全力を出すなんて損だから、おざなりにしたほうが省エネになって得だ」というような思考のつぶやきが起きていたりするんですね。
ところが、実際はそうじゃない。ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいるのと一緒で、満足な結果も出せないし、すごくエネルギーを浪費(ろうひ)している。その上、もしかしたら、エンジンがヒートアップして、車自体を、つまり自分自身を傷つけているかもしれない。そっちのほうが実感として、僕は正しいと思っています。
でも、僕たちは潜在的(せんざいてき)に、素直になって渾身(こんしん)の力で挑(いど)むことをすごく恐れるんですよ。恐れるだけじゃなくて、もっと言うと、「頑張る」ことを嫌がる。それはなぜかと言うと、まさにブレーキを踏みながらアクセルを入れることを、僕たちは「頑張る」ことだと思い込んでいるからかもしれないんです。
ブレーキをフリーにして、アクセルを踏めばスッと走るのに、僕たちはあまりにその状態を経験していない。だから、それを「頑張る」ということだとは思えないんです。だいたい「頑張る」という感覚を持つ時は、「嫌なことを頑張る」というニュアンスになることが多い。
なるほど。だから「今、自分は心のブレーキを踏んでいる」ということが自覚できれば、そこから脚を外すことができるわけですよね。

名越:  そう。「心=車」の比喩(ひゆ)は面白いんです。だいたいアクセルは右側で踏みますよね。ブレーキは左側ですよね。これを意識、無意識とすると、右側のアクセルは比較的意識しているもの。そして、左側のブレーキを踏んでいるのは、かなり無意識的なんですよ。
だから、自分が無意識にブレーキを踏んでいる時、その瞬間を自分で捉えるのが一番大切。これはある種(しゅ)の能力開発が必要かもしれませんが、自分が一生懸命頑張ってもどこか力が出切らないと感じた時、「アクセルと同時にブレーキを踏んでいるんじゃないか」と思ってみることが第一歩だと思います。
ぼくが、自分がモヤモアした気分に覆(おお)われいると思った時、「とりあえず、目の前のことにちゃんと取り組もう」と思い直します。そうやって、自分がブレーキを踏んでいることに気づいただけでその瞬間に、かなりのブレーキが緩まります。行動を意識化するだけで、そこから心の持ちようが随分変わってくるんですよ。

なるほど。何より自覚することが、心のベクトルをポジティブに変える第一歩なんですね。

名越:  うつの人は、心が結構激しく揺れ動いている人が多いですね。その混乱を整理するためには、自分の心の状態をこまめに捉えて、その度にちょっとした正しい軌道(きどう)に戻してやることが、かなり有効なんですね。
そのためにも、「自分の心はどういう状態にあるのか」ということを、「今、ここ」の現場で気づくという経験が一番大事なんですよ。まずは、意識化、自覚の大切さを頭で理解してもらって、あとは現場でひとつひとつ実践してもらう。
こうやって、ちょこちょここまめに経験値を上げていけばいくほど、自分の心のメンテナンスを自分でやれるようになってくると思います。