《歴史上の人物に学ぶリーダーシップ Ⅱ》

 前回に続き今日は『豊臣秀吉』について考えてみたいと思います。

 秀吉は『先見の明をもった人物』でした。秀吉は、世に広く知られているように、日本史上で一番の出世を果たした人です。百姓の身分から足軽を経て、最後には見事に太閤と呼ばれる身分にまでなったのです。彼を、天下を取る地位まで引き上げた、彼の見つけた活路とは何だったのでしょうか。

 秀吉が活路を見いだしたのは、信長の下級家臣であった時のことになります。対朝倉と対浅井の戦いで、信長が京に逃げ帰る際にシンガリを名乗り出たことこそが、その後を決める活路だったのです。シンガリとは、戦いで敗走する時戦場に居残り、玉砕し残りの兵を逃がす役割をする一隊をいいます。別の言い方をすれば、決死隊です。味方の武将が逃げおおせるまで、時間稼ぎのために身体を張って敵と戦い続ける役目です。ほとんどの場合が全員死ぬのです。

 秀吉は、決死の覚悟の上で、このシンガリをやり通した暁にあるメリットに着目したのです。
①用心深い信長ですら自分を信用するようになるであろう
②秀吉の出現を面白くないと思っている古参の家臣たちにも恩をきせることができる
 と考えたことでしょう。

 秀吉は、味方を逃がす時鉄砲を置いていかせ、兵が攻め込んできた時、いっせいに鉄砲をうちました。こんなシンガリに会ったことのない浅井・朝倉はド肝を抜かれ、何か策略があると疑い、逃げてしまいました。

 この役目を見事にやり通したからこそ、その後の秀吉の出世話は広く世に知られることになるのです。