《人間関係》

 まずは、次の文章を読んでみてください。

 お客様として招かれれば、誰よりも先にそこのお酒を褒めたたえ、御主人と並んで控えながら『あなたもナカナカ美食家ですね』といい、食卓の上から何か一品取り上げ『これはまたなんとも素敵な品ですね』ともいう。さらに、寒くはないでしょうか? 何か掛けたくはないでしょうか?
私が着せてあげましょうか!とうかがい、加えて、そのようなことを口にしながら相手の耳元へ身をかがめてこそこそと密談もするし、他の者としゃべりあう時も御主人のほうへ目を注いでいる。
 劇場では、小者から座布団を奪い取って、御主人の為に自ら敷きならべる。
 また、家が見事だとか、屋敷の植え込みが上出来だとか、彫像が生き写しだとか愛想をいう。

 お世辞、へつらいの人間関係のみごとな描写ですが、この文章から何を連想されるでしょうか。実力者の前で揉み手をしている代議士か。社長に呼ばれた重役か。煙草をくわえた上司にさっとライターを差し出すサラリーマンか。この文章は現代社会の人間関係の一面をあざやかに描いています。しかし、この文章はじつは二千年以上も昔にギリシャの哲学者テオフラストスの『人さまざま』からの引用なのです。

 科学技術は大変な進歩をしてきているのに、《人間関係》というものは二千年前と比べてあまり進化していないように感じるのは私だけでしょうか。コミュニケーションと言われるものは、普遍的な要素をもっているのでしょうか。最近ちょっと疑問に感じたことを書いてみました。