《指示待ち症候群Ⅱ》

 指示待ち族がどのようにして発生するのか、上司側から考察してみよう。
 まず、指示することが上司としての役割だと思い込んでいることに一つの原因を見出すことができる。さらに、部下は、指示するとその通り動き、教えるとその通りわかり、説明するとそう思い、世話をやくとうまくいく、そう思い込んでいるからであろう。けっしてそうはならないのに、である。それどころか多くと場合、逆の結果を生み出しているのに、である。
 指示とは、一言にして切り捨てれば、人々の主体性を奪うことである。指示によって人々を動かすことが、『指示待ち族』を量産しているのである。指示待ちは、けっして人間の本性ではない。作られたものである。
 小さな子どもを見れば一目瞭然であろう。彼、彼女らが、誰かの指示を待っているだろうか。次が次へと自分で動いて、親の方が振り回されているではないか。それが幼稚園に通い出すと、少しずつだが様子が変わってくる。そして成人式を迎える頃には、立派な指示待ち族となっているわけである。
 上司から指示されると、部下は動かざるをえないから動く。動く範囲は、主体性がないので指示内容が作用するところまでである。動きが不十分な場合には、また指示の追加がなされる。これを繰り返していくとどうなるか。
 前にも指示されて動いたのだから今度も指示によって動く、ということになる。つまり、指示されるまで待つことになる。そこで上司は、また指示する。上司も部下も、このようになるのは当然のことだ。
 この悪循環が定着し、体質化してしまったのが『指示待ち』と言われる状態である。

 “人を人として” 藤田英夫著より