《知識と知恵》

 読売新聞の記事より

 数人の経営者と懇談をしていたときのこと。一人の社長が『学生時代は遊んでばかりで何も勉強しなかった』と言った。同級会などでよく聞く言葉である。私は『社長がそんなことを言うと、学生たちは言葉通りに受け取って、勉強したら社長になれないと思っちゃうよ。それでいいのか!』と問いつめた。
 『私は学生時代に頑張ったから社長になれた』と言えないのは“謙虚さ”といわれるものからなのか?
 『あなたは学生時代、自分の好きな本を読み、やりたいことに没頭していたのではないですか』何かに専念することも本来の大学での勉強なんです。
 会社では、上司の指示で動くのが仕事だと考える。長年そういう『仕事』に慣れてしまうと、学生時代の勉強についても誤解してしまう。“先生から言われたことを勉強しなかった”ということを“勉強しなかった”の一言で片づけてしまうのは間違っているのではないか。正確には『学生時代は、自由な勉強をさせてもらった』ということだ。
 もう一人の年配の社長は『私は、学生時代に勉強したことは、会社に入ってから全然役に立たなかった』という。『それなら、何故大学に進学したのですか』と聞くと、『大学に入ると就職の役に立つと思ったから』これも、よく聞く言葉。
 明治時代の大学は西洋の学問を学ぶことに意味があった。いわば、知識の取得が役に立つ時代だった。ただ、現代はインターネットを活用して必要な情報はたちどころに手に入るようになった。大学では、課題を本や文献で等で調べたり、実地に調査をしたりして、悩んで悩んでこれらをまとめ、一つの結論を論理的に導き出す。この過程が重要なんです。授業や研究を通じて、問題解決の考え方を身につけることが大学生の勉強であり、自分の知恵を生み出す方法の体得なんです。

 山形大学学長 小山清人氏はこう話す。

 最近読んだ本に次のような記載があった。
 多くの人は育成を、困難な状況から救い出すことや世話を焼くことと混同しがちである。育成とは、自分の力で問題を解決するよう人々を導くことであり、彼らに代わって適切な解決策を見つけることではない。

 教育とか育成といったことについて考えさせられました。